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コラム

「宅=ホーム」とは何か?

日本テレワーク協会主席研究員の松永義文です。

在宅勤務というときの「宅」についての随想です。

 

宅=ホームとは何か?

 

仕事から家に帰るとホッとする。

外出先から職場に戻るとホッとする。

海外から帰国するとホッとする。

このホッとするところがホームだ。ホームはこのように相対的な概念であるが、人間がある程度長期に寝泊まりするという意味では、自宅は最終的なホームだと言える。

ここでは、在宅勤務なるものをより本質的にとらえるために、宅=ホームのコンセプトについて掘りさげてみたい。

場所的概念について、ホームはよく登場する。

ホームタウン、ホームルーム、ホームポジション、ホーム/アウェイ

ホームは、英語であるが、日本語だと自宅だろうか? いや違う、むしろ"巣"だろう。巣というとあまりに動物的であれば、居住地すなわち住所と言い換えてもいい。巣のニュアンスを込めると「安住の地」と言ってもいいだろう。

定住しない遊牧民だって、移動の先々でホームを作る。

ホームレスだって、どこかに、寝泊まりするためのホームがあるらしい。

外国で日本語を耳にするとほっとする。一見日本人が誰も居ないのではないかという外国で、寂しいと思っている時に、どこからか日本語が聞こえてくると、ホッとする。そう、日本語は我々にとって母なる言葉、母語である。母とはホームである。日本語はホームである。

所属、電話、デスク、これらはホーム(本人の帰属)を表す。

外出先から「ただいま戻りました」と戻る場所がホームだ。つまり職場もホームだ。

名刺に書かれている会社名こそ、自分の身分を保証する所属先、すなわちホームだ。

名刺そのものがホームだ。なぜなら、そこに、会社の住所だけでなく、電話番号やメールアドレスなど、その本人を本人たら占めるID情報満載の場所であって、結局個人はそこに帰るしかないし、逃れられない。IDこそホームだ。

フリーアドレスは、職場のデスクレベルでの帰属感を無くす。ホームの1要素が無くなるわけだ。だがこの程度が欠落しても問題は無い。電話が無くなるよりいいだろう。メールアドレスがないよりどれほどましか。

孟母三遷の教え、というのがある。子供の成長のためには3回の引っ越しをするべしというのだが、それだけ、ホームの影響が強いことを表している。つまり、1つのホームにずっとこだわると井の中の蛙になってしまうのだろう。

したがって職場を変わるのは悪いことではない。人事異動によってホームの物理的環境が変わるのは悪いことではない。しかし、あまり頻繁に変わりすぎると、そこに住み着きにくくなり、愛着も薄くなリ、必ずしも心安らぐ安住の地にはならない。

わざわざその頻度を上げるのは、帰属感を薄れさせ個人の主体性をうながし、生産性を向上させることのできる人材を育てたいという組織の方針であると考えられる。

職場はホームだと述べたが、遊牧民のように移動する様相を呈するので、やはり自宅ほどのホーム性はない。

自宅に関しては、引っ越しを繰り返していた人も、年取ってからは、定住し出し(つまり、体力もなくなるので、引っ越しに積極的ではなくなり)、そこを安住の地とし、どこかへ行っては必ずそこに帰るという最終ホームを形成する。

以上のように「宅=ホーム」をとらえた場合、在宅勤務というのは、そもそもどういうことなのか、これまで何か重要なことを見落として来てはいないか、あらためて考えてみたい。

 

(2017.3.21 日本テレワーク協会主席研究員 松永義文)

 

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